2016年
3月
17日
木
卒園、そして振り返れば。。。
ラクが、うちのポッチャリベビーが、保育園を卒園して小学生になる、この4月から。かなり感慨深いが、その話はまた今度にしよう。
2年前に現在の住まいに引っ越してきて、ラクを歩いて15分程のところにある今の保育園に入れた。厳密には保育園ではなく、幼稚園と保育園が併設された認可外保育施設であった(今年度から市の認可が下り、正式に「こども園」となった)。
引越し前に見学に行ったところ、国際クラスという、外国人の先生が英語で保育を行う特別クラスがあるというので、そちらも見学させてもらった。子供たちが英語を話しているのは聞けなかったが、確かに先生の質問は理解しているようだ。ということは英語が聞ける耳にはなるということか。自らの経験からもまずは聞けるようになることが必要だと分かっていたので、2年でもペラペラになるという園長先生のセールストークもあり、喜び勇んで入園を決めた。
入園金も、月々の保育料も普通クラスより高い。それでも、元は取れると確信があった。が、結果はどうだったか。
ラクの英語力は、殆ど身に付かなかった。覚えた単語もヒアリングも限られた簡単な内容に限られる。更に言えば、ラクは英語を好きになるどころか、英語でアニメを観ることも拒否し、一緒に勉強することも嫌がった。
園長先生のセールストークは本当に単なるセールストークで、国際クラスの実態は、単に英語という言語と外国人の先生に慣れるといったような‶ゆるやか‶はものだったのだ。当然、同じクラスの周りのお母さん達の多くも、私と同じくらいガッカリしていたが、それでも毎年、同じようなセールストークに有らぬ夢を見た母親の子供たちが、定員を満たす分だけ入園してくるのだろう。
とはいえ、ラクはそれでもアルファベットを大文字だけだが読めるようになったし、頭で覚えたのではない発音を披露することもある。短い質問なら、ゆっくり話さなくても聞き取ることも出来る。だから、完全に無駄とは言えないかもしれない。
そもそもは、かなり流暢なところまで行く、というので無理をしてでも入れようと思ったわけだが、実際にはその足元にも届かなかった。結局、2年間の間に、園に対する不信感とガッカリ感が増幅しただけで、現在では一刻も早く縁を切りたいとまで思っている。英語のことを差し置いても、色んな意味で残念なところだったし、ラクの人生で経験した最初の3つの保育園と比べても一番ガッカリだった。
さて、そんな保育園に入れるのを潤は当初なんと言ったか。さあ、長い長い前置きを乗り越え、ここからが本題です。(え~!)
潤は、強く反対もしなかったし、英語クラス自体は良いと思ったようだが、普通クラスの4倍の入園金(年中から2年しか通わないのに)と割高な保育料を聞くと、難色を示した。普通の保育園でいいんじゃない?とも、確か言った、と思う。でも私は自分の意見を推して、さっさと入園金を払ってしまった。その後、次から次へと色んな場面で保育料以外の請求書が届くことになり、保育(英語教育)内容がアレなのに、コンなに払わされることに憤りを感じ続けることになる。
だが、どんなに文句を言おうにも、潤にしてみれば、私が決めたことでしょ?だし、その通りすぎて言い返す言葉が無い。考えてみれば、私と潤の立場は常にこうではなかったか。熟考せずにダメ元で行動に移す私に対して、じっくり考え時間を置いて、勝てる試合に臨む潤。当然、人生の軍配は潤に上がるのではないか。
ラクの保育園生活終盤に差し掛かり、この2年を振り返り、その他色んな自分の失敗を振り返り、自分と潤を比べずにはいられない。潤も常に言うように、私は潤の助言のとおりにするべきだと思う。潤のアドバイスに従っていれば、多分失敗は激減するだろう。イコール、つまらない無駄な出費も減るはずだ。でも、それでは私という存在がいなくなってしまうようで、ついつい自分の思う通りに進めてしまう。そして、やはり失敗する。
最近、そろそろ、潤の言う通りにしてみようかと、ホンキで思案するようになってきた。
2016年
1月
25日
月
至福の時間
ラクにとっての至福の時間、それはオヤツを食べている時。
オヤツが無かったら彼女は何を楽しみに生きていくのか。今日のデザートは潤の買って来たアイスのお土産。それも大好きなジャイアントコーン。ああ幸せ...な瞬間を収めました。ハイ、どうぞ。
2016年
1月
11日
月
子どもたちに望む道
最近TVをたまたまつけたらば、オネエ系タレントの皆さんが、如何にしてオネエ系になったかとか、若い頃の葛藤とか、そんなのを紹介してる番組をやっていた。それ自体に全く興味は無かったが、ちょうどタレントのクリス松村の経歴が紹介されていて、「父が外交官で海外在住が長かったが、イギリスに住んでいた時は英語もイギリス人より出来たのに、帰国したら日本の学校でやる英語から外れているという理由で英語のテストはボロボロだった。それを機に完全にやる気を失った。」とのこと。フムフム。それはヤル気も無くなるだろう、と大きく共感。そこで、そんなクリス松村をもっと知るべく彼のブログにアクセス。すると、こんな記事が...
今日は、「全国学力テスト」で中学3年生はテストだったとか。
高校でも大学でもテストは続いていくわけなのですが、
テストって嫌ですよね。
自分の能力を安易に調べられているみたいで、私は凄く嫌でした。
おそらく、幼少期に勉強、勉強、順位は何番か!?
というものと闘ってきた反動で、プツッとある時我慢していたものが切れて、
私は勉強をやれと言われたらやらなくなりました。
プツッとなってからは、何かをしろ!と言われたら絶対にやらなかったんです。(笑)
それが、自分に不利な状況になっても嫌でしたね。
好きなことだけやる…
という割り切った考え方は、その時からずっと変わりません。
先生方や親は、気がきではなかったと思いますが、結果的にはそれで良かったと思っています。
あれから何十年経って思う結果論です。
だって、他に夢中になれることがたくさんあったんですもの。
学校のテストの成績なんて、人生に関係なし!
学校の勉強って、教養を身につけるためにやっているはずなのに、
人生であんまり関係ないことばかりなんですよね。
そんなことを覚えるヒマがあったら、もっと応用のきく学科を増やしたほうがいいのでは?
と思うくらい、どうかな?と思う学科の教育が長すぎると思います。
中学ぐらいから選択制の幅広いコースを作るべきではないかと…個人的には思います。
自分の意見や考えを何でもいいからプレゼンしたり、ディベートするクラスとか。
テスト、テストって・・・その前に、そういう生き方が合う子と合わない子がいるってことを知らないとダメですね。
結局は、興味をもたなければ身になりませんし、そのキッカケの授業なんて、中学、高校と6年もやる必要なんかないのではと・・・考えます。
成績でしかその子供を評価出来ない教師がいるとしたら、
その教師こそ教師失格ですね。
子供をキチンと見れないから、成績に頼るという最悪なケースです。
教師との出会いも「運」ですが…。
私も、今はサラッとこんなことを書いていますが、
十代の頃、どれだけ考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩み抜いたかわかりません。
でも、悩んで良かったし、考えて良かったです。
先生が教えることの出来ない自分だけの自分に一番合った授業が出来ましたから。
自分で考える力は、教育への疑問から飛躍的に伸びました。
インターネットも携帯電話も何もない時代でしたからね。
それより、ニートや無職の若者を無くさないと!
健康な体と頭でニートがいっぱいって・・・。
どうして、そんな環境でも平気なのかが理解不能です。
働かないのは絶対ダメですもの。
私は、高校時代から(学生時代はアルバイト)無職だったことが、一度もありません。
夢や理想とは違っていても、
好きなことばかりやってきました。
ですから、時給が420円だろうと(笑)、睡眠時間が2時間で残業代なしだろうと
全く気になったこともありませんし、後悔したこともありません。
無職だけは、ダメです。
安易なツールなどで、本当の自分の力を出せないとしたら悲劇ですね。
長くなりそうなので、このへんで。(笑)
と、こんな感じ。
私もテストは大のニガテ。制限時間のなかで、何十人もの他人と同じ部屋に閉じ込められ、ブツブツ言ってみたり音を立てることも出来ない恐ろしいプレッシャーの中でテストを受けなければならない。まず、その環境に耐えられない。実力もないが、そういう集中力も持ち合わせていない私が、日本の受験戦争に勝てるわけもないし、負け戦に立ち向かいたくもなかった。日本のシステムに真っ向から挑まず、さっさとアメリカに逃げてしまったので、結局、受験の辛さも知らないままだし、就活もイヤだったので、それもしなかった。少し経験していれば実感として得たものを理由に、子供たちにも「やめておけ。バカバカしいから。」と言えたかもしれないが、それさえも言えない。
ただ、子供たちには受験はもちろん就活も経験しないで貰いたいと思っている。最初はウタが普通に小学校に通うことにも迷った。押しつけの勉強法や学校のルール、スムーズな集団行動を強いられる場にウタが自分を合わせていかねばならないことが、非常に不憫に感じられたからだ。だがそんな私の不安を打ち消すように、彼は学校という社会にシャキシャキ溶け込み、スムーズな学校生活を送っている。「ボク学校に行くのがツラい...。」とか何とか言った暁には、ソレっと海外の学校に入れちゃえ!と目論んでいるが、そんな感じでもない。シレっとしながらも頑張って、ホイホイとうまくやっているように見える...。おかしい、私の子なら絶対にボロが出るはずなのに、やっぱり半分(以上?)は潤の血が入っているから順風満帆なのか...。
学校、集団、ルール...そういうものに極端な反発心を持つ不器用な私の息子が、8歳にしてそういうものと折り合いをつけながら、ちゃんと自分ペースで頑張っている。もしかすると、このまま普通に受験も大学でのゼミ(っていうんですか?)もサークルも就活も、全部バッチリ経験して、バリバリのジャパニーズサラリーマンになるのだろうか...。私としては、それじゃあ面白くないから、ウタもラクも好きな道を自分で選んで、大いに普通のレールを外れてもらえたら、と思っている。少なくとも、テストの結果だけで一喜一憂したり、進みたい道が狭まれたり、それで自分の価値が決まるなどとは絶対に思ってほしくないのだ...