物欲より”自由欲”

長野の実家に暮らすようになって、物欲が(かなり)無くなった。今の私の人生が、ナイナイ尽くしのせいである。まず勿論だが圧倒的に女子の物欲を刺激する店が少ない。あったとしても歩いていてフラっと入っちゃった、という設定はあり得ない車社会。つまり「ついつい」ということがない。行く気で車を走らせる以外に、店に入る方法はないのだ。

更に現在はラクが保育園に行っていないので朝から晩まで常に一緒。このほどめでたく2歳になった彼女の自己主張は激しく、融通は利かず、暴走は止められない。そんな子ザル(子ブタとも言うかも)と一緒では本屋にも行けないのが現状で、実際この2か月一度も行っていない...。

更に言えば、無職の専業主婦(といったら母は怒るだろう。無職の居候が正しい。)となり、家計をダンナに預けた今、勝手にお金が使えなくなった(泣)。家計簿でキリキリすることもなくなったのでホッとしているが、(後で必ず後悔するのに)コッソリ自分の好きなモノを買っちゃう楽しみもなくなった。働いていないのだから仕方ない。が、さみしい。

 

ナイナイ尽くしを総括すると、誘惑がナイ、自由がナイ、先立つものがナイ、のである。これだけ無ければ物欲も顔をださなくて当然か...。

誘惑も先立つものも今のところ無くて生きていけるが、一人で外出できる自由を失ったのが最も辛い。この自宅軟禁状態がアルゼンチンでも続かないことを祈るが、もしかして自由時間を確保できたのちは物欲も一緒に顔を出すかもしれない、と少し不安に思っている今日この頃です。