アルゼンチン行きを間近に控えて思ったことがある。数えてみれば驚きの18年前、高校を卒業して単身アメリカに留学する時の自分との違いである。
あの時は、親の大反対を押し切った念願のアメリカ行きだった筈なのに日が近づくにつれ不安になり、最終的には留学なんて辞めれば良かったと後悔した。渡米当日は両親が成田まで見送りに来てくれたが、ガチガチに緊張していた私は殆どまともな挨拶もしないままに出発したし、緊張と気流の乱れで見事に飛行機酔いして何も食べられず、不安のまま到着した夜のボストンは想像とは全く違って寂しくよそよそしかった。語学学校の寮に着いてみれば、派手はスペイン語系の語学留学生達が騒々しく夜遊びに繰り出す用意をしていて、寮の部屋も居心地良さは一切感じられない殺風景なものだったので、落ち込む気持ちに拍車がかかった。
とにかく無事到着したことを親に知らせるために寮内の公衆電話から恐る恐る電話をかけたところ母が出て、その声を聞いた途端に我慢していた涙があふれて止まらなくなり、もう一生日本には帰れないような気持ちになって、モーレツな不安と寂しさに襲われながら母の言葉にウンウンと頷いては窓の外に見えるボストン市街の灯りを見つめていたことは、昨日のことのように記憶にこびりついている。きっと一生忘れない種類の記憶である。
そして18年後の今、私はまた言葉の分からない国で生活をしようとしている。
但し今回は気分的にかなり軽やかである。何が違うのだろうと考えたら、まずは家族と一緒だということだろう。言葉が分かるダンナが一緒に行く、というのも大きい。何かあったら、とりあえずダンナに頼ろうという不謹慎な甘えがある。更には自分のことより優先して心配する必要のある2匹の子ザルがいる。子ザル達が安住できることを最優先に考えていると、幸いにして自分の事で不安になっている暇がない。まさに、”女は弱しされど母は強し”である。
もう一つは何と言っても文明の利器の発達であろう。18年前は携帯電話もメールもなかった。いや携帯はあったかもしれないが一般的に普及する前だった。なにしろ大学のレポートもPCではなくタイプライターが主流で、学生がPCでレポート提出するようになったのは、大学生活も後半だったような記憶がある。
今回は携帯は解約していく予定だが、メールがあるので日本の家族や友人とも常に連絡を取り合うことができるし、GmailやSkypeでチャットも可能だ。Webカメラとマイク付きのPCがあれば、お互いの顔を見ながらPC越しに会話もできる。友人たちの近況は、彼らのブログやMixi日記で知ることもできるし、ネットがあれば日本のTVドラマやバラエティも大抵観られる。子ザルたちが大好きなアンパンマンも、わざわざDVDを買う必要はない。
大学留学時代の私は、寂しくなると迷惑なほど長ったらしいエアメールを親や友人に宛てて書き、投函したら次は返事が来るのをひたすら待つ日々だった。届く手紙を読んでは涙し、日本の歌を聞いては郷愁の念に駆られた。
それがどうだろう。文明の利器により世界のどこにいても繋がりたい人達と繋がることができるようになり、海外へ出ることが気持ちの上で楽になった。別れの言葉も、「じゃあ次はメールでね。」と随分軽いものになった。もちろん海外での慣れない生活で辛い想いもするだろうが、悔し涙で家に帰ってPCの前に座り、Onlineの友人を探して「ちょっと聞いてよ!」と愚痴を言うことも可能なのだ(たまたまOnlineだった人には迷惑な話だ)。
気持ちの上での変化をこうして感じ、今の時代をありがたく思えるのも18年前の(今考えると)不自由な留学生活を体験しているからに他ならない。ウタやラクが高校を卒業する頃には更に時代は進み、たとえどれほど距離的に家族から離れて住んだとしても、私が味わったような郷愁の念と心の底からの寂しさを感じることは出来ないのではないか。それは羨ましくもあるし、同時に少し残念な気もする。
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