アルゼンチンのいいところ。

アルゼンチンに来て嬉しくなったことを書こう。

日本に、特に東京に住んでいると、見知らぬ人は見えていないのと等しい。見えているけど、見ないことになっている。それが暗黙の了解だ。見えていないのだから、他人に何が起ころうと知らぬ顔を決め込む人が多い。悪気はないけど、見知らぬ他人の事情には極力介入しない雰囲気が溢れている。良くも悪くも、それが東京という街だし、住んでいると自分もそれに染まっていく。

 

ところが、やはりアルゼンチン中の人の寄せ集めであるブエノスアイレスに住んで驚いたのは、人と人の距離が近いことである。それは挨拶にも、言語(スペイン語)にも表れている。初対面の人同士で頬を合わせるのもそうだし、言葉自体も非常にインフォーマルらしい。

現在通っているスペイン語のプライベートレッスンで、私がこう言いたい、と言うと、先生のスペイン語訳はかなりフランクな言い方になる。それじゃあ失礼にならないか、と尋ねると、「アルゼンチンは”インフォーマル”な国だから、それが普通よ(笑)。」と返ってくる。

 

でも、それだけではない気もしている。ここでは、他人に親切にすること、親切にしてもらうことは、状況によるだろうが当たり前のことのようだ。

 

日本からの郵送物を受取所に取りに行ったとき(ここでは市内に届く海外からの宅配便は全て一ヵ所に届くので、受け取りに行く必要がある)、人でごった返す待合室で、若い男性が初老の女性の為に彼女の受取り用紙を記入していたのを見た時には感動すらした。

子連れでバスや電車に乗れば、近くの人が必ずすぐに席を立ってくれる。遠くの人でも、こっちにおいでと手招きして席を立つ。妊婦が電車に乗ってくると、自分の前に立たなくても近辺の誰かがスっと席を譲る。妊婦も特に感動した様子もなく、当たり前に空いた席に座る。

昨日は保育園の帰りに、石畳の道の真ん中でバギーが動かなくなった。ムムッ…と思った瞬間に、前から歩いてきた10代の男の子が、バギーの手前を少し持ち上げて助けてくれた後、何事もなかったように通り過ぎていった。

 

子ども達への見知らぬ大人のまなざしも優しい。ウタが失礼なことをしても、怒る人を見たことがない(だからと言って、図に乗っていいわけがないぞ)。ステキなおばあちゃま同士が歩いていて、ウタが通せんぼをしたら(ギャーッ!)、逆にウタを通せんぼして笑って去って行った。言葉が不自由で、子どもの”悪事”のフォローもできない親としては、拝みたいほど有難いわけです。

 

アルゼンチンは日本ほど治安も良くなく、街中の道路は犬のフンでいっぱい、フルタイム就労率も低く、国としては多くの問題を抱えている。でも人は明るく、基本的に親切で、(こういっちゃ何だが)アメリカのようにエキセントリックな人がいない。そういう意味で、我々のような子連れ家族にとっては、非常に住みやすい国と言えるだろう。

 

東京も、3月の震災当日には、タクシーが同じ方向に行く人を乗せ合う”乗合タクシー”になったり、帰宅方法が分からない人同士が情報を交換しあったりして、助け合う姿が見えたと聞いた。

何ごともない日も、同じ街に住む隣人として見知らぬ人同士が、気軽に助け合う慣習ができるといい。(なんだろ、この終わり方…)

 

 

↓撮っただけになっていた写真で、少しだけブエノスアイレスのご紹介。

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コメント: 2
  • #1

    Yasu (金曜日, 30 9月 2011 10:39)

    そうそう。本当に そういうところが良いよね。だから こっちに来て3年後に日本に帰ったときに「日本人ってこんなに冷たかったっけ?」っておもっちゃったよ。

    バスで妊婦さんやお年寄りに席を譲るのが当たり前、タクシーに乗る時も女性が先。それを見て育った私の弟は 姉の私にもいつも優先して乗せてくれてたな~。そういうことを日本でやってたから友達に「アルゼンチン育ちだから」って言われて嫌がってた・・・

    私はすばらしい事だと思うんだけれどナ・・・

    でも、治安悪くても、不景気でもこっちの人は楽しむことを忘れないよね!


  • #2

    てっちゃん (日曜日, 09 10月 2011 00:21)

    東京はね、人が多すぎるから、そうならざるを得ないんだと思う。
    東京は、沈黙のルールがないと、あれだけの人が住めなんだと思うよ。人が多すぎて、人にかかわりきれないのかな。
    でも、だからこそ、寂しい人が多いんだろうね。
    大阪へ行っただけでもそう思ったもの。
    マナーは格段に悪いけれど、親切だもの。

    初対面でも、気楽に話ができるしね(笑)