久しぶりに、自分の電池が切れた。
”電池”が切れるとどうなるかと言うと、度を超えてイライラし、誰とも接触したくなくなって、無気力&無感動、とにかく家から逃げ出したいという、分かりやすい形で表に現れる。
瞬時に不穏な空気を察する家族。でも、だからと言って態度は変えません。っていうか、変えられないの、電池切れてるんで既に。どうして時にこうなってしまうのか...?病気を疑うこともあるが、そうではなくて、多分毎日の生活で溜まった”ガマン”という膿が自分の中で一杯になると、もうこれ以上は無理!というサインを身体が出して、結果、我慢して笑ったり元気にしたりできなくなるんじゃないかというのが、自分なりの分析結果である。
どんな”ガマン”かというと、今の生活が”本当はイヤなのにやらなきゃいけない”ことのオンパレードだからだ。小さい子供がいれば当たり前のことだが、こっちは帰宅して座る暇もなく家事と食事の支度をし、温かいうちに美味しく食べてもらいたいのに、子供達は落ち着いて座っていないばかりか、喧嘩が始まったり不注意で牛乳を派手にこぼしたりする。真面目に食べていてこぼすならいいが、そうでないから腹が立つ。こぼれたものを掃除している間に食事は冷め、再びテーブルに着く頃には冷え切ってガッカリだが、子供達には悪気がなさそうだ...。ガマン#1。
本来なら食後に少しはゆっくりしたいが、その余裕はない。後片付けもあるし、子供達のお風呂もある。頼むからお風呂入って、と叫んでいると、犬がトイレを漏らしているのを発見したりして更にグッタリ。ガミガミ言いたくないのに、言わないと次のことをやらない子供にどうしてなってしまったのか。いや、それはオトナの決めたルールであって、子供は自分がしたいことをしているだけで悪気はない。それは分かっているけれど、言わなきゃ仕事が片付かない。ガミガミ言う自分の声を聞くのが、ガマン#2。
子供は常に自分の感情や欲求を、ストレートにぶつけてくる。それを日々かわしたり、説得したり、説明したり、スゴんだり怒ったり泣き倒したりしていると、自分の人生そのものがバカバカしくなってくる。でも、こちらの気持ちは残念ながら思った以上に伝わらないものである。
昨日あんなに怒ったのに、今日も同じことをするのは日常茶飯事。じゃあ昨日のあの時間と努力と疲労は、何のためだったのか?いや、その積み重ねこそが大事なのだ。一朝一夕で子供が成長するわけじゃない。と自分に言い聞かせて、とりあえず流す。ガマン#3。
こうした”本当はイヤなのにやらなきゃいけない”兼“本当はイヤなのに言わなきゃいけない”ガマン達が自分の中の限度を超えた時、私の頑張る電池が切れ、ウツ状態となるようだ。
こうなったら本来なら遠くに離れていて放っておいて貰いたいが、子供には単に機嫌が悪いとしか映らないのが悲しい。ただ、一日中ネットのドラえもんを観ていようと、プリキュアの玩具をyoutubeで観ていようと、ウツの私は知ったこっちゃないので、逆に子供達にとってはうるさいのがいなくて嬉しいかもしれないな...。どうせ1~2日で元気になるんだしね...
コメントをお書きください