2011年
3月
27日
日
できちゃった。
子供たちのパスポートができてしまった。これにて本当の本当にアルゼンチン行き確定。
ラクが「あっく、あっく(ラク、ラク)」と自分の写真に見惚れて新品パスポートを離さず、受け取った初日に破かれたりICチップが破損したりしたらシャレにならないので焦る。
悲しいかな、申請時も交付時も窓口の人がウタを女の子と思ったようだ。最近になって5回に1回くらい「ウタは男の子だよ」と正すようになった。 がんばってください。
2011年
3月
26日
土
救援物資あつめました。
保育園の先生や父兄に呼びかけて地震被災地への救援物資を集めたら、ダンボール3箱分になった。 練馬区の回収場所に無事届けて一安心。
回収場所である中学校の旧体育館にはダンボール箱が大量に積み上げられ、他の車も次々と来場して提供物資を運び出していた。人助けのエネルギーを、この国でこんなに感じるのは初めてだ。
2011年
3月
21日
月
セルフ家族ショット
まだ写真館で家族写真を撮ったことがない。
子どもが生まれる前は余裕で撮れたセルフ2ショットも、4人になったらダンナがめいっぱい腕を伸ばして何とかフレームに納まる状態だ。
写真館での高額な撮影代に尻込みしているうちに4人家族になってしまった。2つ違いなので七五三で奮発してみようか...(←まだ決心できてない)
ヘンな顔で撮ろう!となった頃にはダンナとラクは消えていた...。最後まで付き合ってくれるのはウタだけだ。
2011年
3月
17日
木
子供のパスポート申請で
今日は子供達のパスポート申請に、池袋のサンシャイン内にあるパスポートセンターへ。
エレベーターを5Fで降りたら、目の前に長ーい人待ちの列がありました。何の列デスカ?と聞いてみたら、申請前の整理券を貰うための列だそう。マジ??と思ったけど、急いで最後尾に並びました。
そして30分程並んで自分の番が来て、申請書類一式を預け、整理券をもらい、そこから15分程再度待って申請書の細かい確認を窓口の人とし、OKを貰って外にでたら私が並んだ時より更に長い列ができていたのです。あ~、ちょっと早めに来て良かった...!!
窓口の人に、いつもこうなんですか?と尋ねたら、やはり放射能の一件があって昨日から突然申請者が増えたそうです。外国籍の親が、子供をすぐ国外に出せるようにとパスポートを取得しに来るケースが多いとのこと。それ以外にも、万一の状態になったらすぐ国外脱出できるようにという日本人も多いことでしょう。私だって、気持ち的にはすぐ出たい。でも両親やダンナの家族を残したまま、かつ明日の生活さえ見えない被災地の方々のことを思うと、自分たち家族だけが国外に出れたとしても、気持ちは安らがないでしょうね。
自分や、自分の子供や、自分の家族のことだけ考える。みんながそうすることで、必要なモノが必要な人達に届かなかったり、巷での混乱や最悪の場合、略奪・強奪などにも繋がる危険性があると思います。地震や放射能より、私はそっちの方が怖いです。どうか、みんなが人のことを考えて、日本全体のことを考えて、冷静に理性的に行動して欲しい。
って、官房長官の会見みたいなこと言っちゃいましたけど、自然現象より人間が狂っていくことの方が怖いんです。
パスポートセンターにいた人達は皆不安そうに、でも目がギラギラしていました。みんな不安感から焦っているんですよね。それでも、できた長い列に対して前に並んでいたオバサンと笑ったりして、ちょっとホッとできました。人間性のある所に暴動は起きない。みんなが笑って、助け合って、励まし合って、この危機を乗り越えられたらと思います。
愛国心なんて、生まれてこのかた持ったことなかったけど、『日本人、がんばれ!』って今は大きな声で言いたいです。
2011年
3月
16日
水
運転免許更新
運転免許証の更新に警察署へ行ってきました。有効期限は11月までで、アルゼンチンに行っている間に失効したら手続きは更に面倒。ならば警察署まで自転車で行ける距離にいる内に更新しましょう!ということで、寒風吹く中チリンチリンと行ってきました。
申請書記入→視力検査→更新料支払い→写真撮影→講習と、まるでベルトコンベアーに乗せられているみたいな速さとマニュアル通りの窓口対応。きっと窓口の係の人達は同じセリフを毎日何十回と言うんでしょうね。もう途中で口を挟めないほど早口で、写真撮影で笑い出しそうになるのを必死にこらえたら更にヘンな顔になっちゃいました(エーン)。
30分程の講習では、やはりこれまで数えきれない程同じ講習を行ってきただろう方が、朗々と歌でも歌いだしそうな勢いで話し始めるのですが、驚いたのが話の掴み。
昨日都内で亡くなった人が一人いて、その人がどういう風に事故にあって(黒板に車やバイクや人型の磁石がついていて、それを動かしつつ説明)、どういう状態で亡くなったか(脳挫傷で病院に運び込まれて数時間で死亡)という所からスタート。自分が死んだ事故について翌日どこかの免許更新講習で話されているなんて、亡くなった当人が知ったら驚くだろうな…なんて考えてしまいました。良くも悪くも、この時点で印象に残る講習となったわけです。
そして全員に配布された教本3冊。これまた講習でgo overする必要のあるページは空で覚えていらっしゃるようで、次々と参照ページを言うのでこっちはめくるのに大忙しです(笑)。学生の頃に戻ったよう。。。で、ペラペラっとページをめくって、この教本は用無しになりました。多分家に帰って再度教本を読んだり、取っておく人の方が少ないのでは?こういう物ほどリサイクルで使い回して、最低限必須事項のみ1ページにまとめて配布するとかしたらいいと思えます。本当に必要かどうかを考えないで、何千冊、何万冊と税金で刷ってバラまいてる事に腹が立ってきた頃、つつがなく講習も終わりました。
以前、日本で暮らすフィンランド人の女性が書いたエッセイを読んだ時に免許換えのことが書かれていましたが、免許更新事務所では誰も彼女に通訳が必要か聞かず、話の内容がわかるかも確認せずに当たり前のように講習が行われて日本の免許が貰えたとありました。
今回体験したベルトコンベアー状態の更新手続きといい、マニュアル一辺倒の職員の対応や話といい、まるで申請者の存在は不要といった感じでした。必要な書類と、必要な検査と、必要な手続きが行われれば、実際の申請者はそこに居なくてもいいのでは?悲しいかな、日本の公的な顔の縮図を垣間見た1時間でした。ショボン。でも、更新できて良かったです!約5年間保持しなくてはならない+一番人様に見せる回数の多い免許証の写真が、またもやガッカリな結果になったのが一番ショボン、ですが。。。